春の訪れ

世の中が少しずつ動き始めた・・そんなこと感じています。ここ3年・・いやもっと前からかな・・私はやるべきことが増えていた。ブログなんで、勝手に長く心の中にあったものを書き綴ります。これまでもそうやって書いてはアップしてきましたが実は書いてあとになぜか消えちゃったり、自分で読み返してみて、いやいやこれはアップするべきでないとかもあったりします。なんで今日のブログも書いても消しちゃうかもしれないけど・・とりあえず書くことで一つ終わってまた前に進めると思うので書いてみます。

ヨガではすべてはOM(オーム)すべては始まりそして終わりそしてまたはじまるという教えがあります。(他にもこの真言にはたくさんの意味が詰まってますが)今この瞬間もオーム、人生もオーム(生まれたら死に向かって生きる。)

私は母のがんと寄り添った時から看取った後、なんかすべてが終わったかと思っていた(それは親の介護)でもそうではなくて、また新しいことの始まりだった。それから残された父のサポートが始まった。しかもうつ症状のような状態からから認知症が始まった。それまではまさか自分が父のお風呂介助や身の回りの世話をするとは思ってもみなかった。あの時の私はなんかトンネルっていつか光が差すもんだとは思っているけど、光は見えないって・・(でもヒカリはずっと差し込んでいたんですが)それらが一気に自分に何かがのしかかってくるような重荷があった。心は少しだけ苦しかったんだと思う。私しかいないとか、これも役目とかカルマだと追い込んだ日もあった。でもそんな時も夜空に祈り、朝日に祈り、父と散歩したりして、いろんな行動の中でやっぱり私はこれまで学んできたヨガの智慧に助けられた・・辛いと思っても上に向いた。そしたら光の方向が見え初めた。そしてある時期から角度を変えることにした。角度というか一言でいうとたぶん・・そう「覚悟」だ。その気持ちの変化が全てを善き方向に導いてくれていると振り返れば思っている。あのころ、父の介護で自分のやりたいことを一度諦めそうになった。でも自分も諦めたいって決めた。毎日アファメーションし、イメージを持ち続けた。そしたら、奇跡的にいろんなサポートに守られ、自分の仕事も善き方向に動き続け、父は施設に入所できた。そして、本当に本気の親の家の断捨離月間を経て、2月いっぱいですごく環境が整った。父と母の最期の思い出がいっぱい詰まったアパートを一生懸命掃除した。母の笑顔、母の作ってくれたおいしい料理、父と母のけんかの板挟みになったこと、母の痛み苦しんだ顔、父をお風呂に浴びせていた時の事、アンちゃんを抱く父の最高の笑顔・・どれもこれも全部私の財産だと思った。そんな事思いながら必死に家をピカピカにした。(本当に掃除は瞑想です。瞑想始めたいって思ってたらまず掃除からって思うぐらい心が整います)さらに

お掃除の仕上げは主人も一緒に・・私の両親の事をいつも献身的に本当になんでもやってくれた主人、最後は二人で黙々とピカピカにした。(しかもお掃除天才の主人のスキルは半端なかった)

そして引き渡しの日、不動産の人が、「こんなにきれいな引き渡しは初めてです!感動です」っていってくれた。涙が出るほどうれしかった。そんなこんな、色々あった2月も終わり、新しい気持ちで3月を迎えています。これまであまりブログをアップできていませんでしたが、(本当は書いては消してたりして💦)心機一転、今月からインスタやブログアップしていけそうです。

毎年訪れている春も観る角度で変わるものです。たとえばこの記事を読みながら、いま辛いと感じる時期を過ごしている人も、そうでない人もいると思います。もし今、きついとか苦しいって思っている人に何か伝えられるとしたら、私がずっと心の奥で呪文のように唱えていた言葉のひとつ・・「すべては心の置き所」ってこと。人間はきついことも辛いことも嫌なことも怒りも全部出てきて当然・・大切なのはその心の動きをもう一人の自分(俯瞰)がどう捉えて、どう変えていくか(行動)・・しかもスピーディーに・・なのかなって。またその辺を掘り下げていくと今日もアップできそうにないので・・今日はこの辺にしときます。長文読んでいただきありがとうございます。

今日もシャンティな一日を・・ナマステ