ヴィパッサナー瞑想修行の合宿が終了し、東京在住の息子のところへ足を伸ばしました。とても実り大きこの旅から無事昨日の夜戻ってきました。
瞑想修行の感想を綴ります。
これまで私は仏教について深く学んだ事はありませんでした。今回参加した合宿は、81歳のスマナサーラ長老の毎日の読誦と法話の時間があり、その時間以外はずっと自己の瞑想の時間に当てられていました。仏教は心に徹底的に取り組む世界(心の科学)で、生老病死を知り、死に目を向けてどう生きるか、解脱とは心を自由にすることなのだと言う真理を理解することなのだと知った。長老の教えは厳しく鋭く参加者の心を掴むものでした。毎日2時間身体を崩さず長老の教えを聞くたびに心身が強化されました。まさに修行といったものでした。
そして、今回の合宿は100名の参加者。その7割はヴィパッサナー瞑想の実践者の皆さん、初めての私はこの修行のルーティンに慣れるまでの2日間ほどはわからないことも多かったのですが(基本1人孤独の世界、誰かに話しかけることも、他の人の修行の邪魔になるので目を合わせることもできない)戸惑いながらも徐々に理解し慣れていきました。
ヴィパッサナー瞑想とは「観察の瞑想」その方法は常に「実況中継」そこに「私が」や「私の」等の我(心、気持ち)をだしてはいけない。食瞑想の場合だとこれ美味しいとかついつい出てくる感情もださずに(出てくるものですが)ただただ心の中で常に実況中継し続ける。(かむかむかむかむ味わう)という感じ。そして歩く瞑想なら(右足あげて運んでおろす、左足あげて運んでおろす)の繰り返し心で実況中継する。最初は自分の心の声がうるさいほど湧いてくる。(これが煩悩)でてきたらひたすら消していく(捨てていく訓練)時間が経つとそれを超え静かな状態というか何もないって感覚というかそんな状況が生まれる(毎回の瞑想がそうでないし、時間が気になったり、瞑想しなきゃーなどの心の声が出ている時点でもはや瞑想ではないので今回の修行中では完全にできたかもとあとから振り返っても2回ほどしかなかった💦)
瞑想とは瞑想していると思った時点で瞑想じゃない(瞑想しているという妄想だ)…難しいものだがこの訓練は続けていくしかないのだ。修行終えて東京へ向かう電車の中でも都会を歩いていても自分の実況中継をできるだけ実践してみた。すると周りの余計な風景が入ってこないので余計な考えがわいてこなくなってきた。(例えばこの人の洋服かわいいとか若く見えるけど本当は歳いってるのかなみたいな心の妄想がでない)なのでどうでもいい感情が湧いてこない。そうやって心は静かになるんだというカラクリも理解できました。これからも日々ヴィパッサナー瞑想を続ける決意をもち伊豆を後にした。
