前日までは正直本当に歩けるか不安ありましたが、朝起きたらスイッチ入り、歩く気満々、、空を見たら応援しか無いほどの快晴(歩くにふさわしい)今回も一緒に旅してる加代子先生と2人晴々出発しました

めっちゃカッコ良いリュックを背負ってたのですが、重くて預けたら、なんとも身軽😊しかし😅マイバックみたいな変な肩掛けバックしか持ってなく💦それにみかんとか水等を入れたら、マジでイオンにお買い物いく人(笑)山歩き素人感がマジで残念でした😥
その後、山道でずっと肩掛けバックを右から左へとバランスよく掛け直すというなんともなんぎな行為が繰り広げらました(笑)さらに熊対策万全にしなきゃと購入したホイッスル😆なんか後から写真みるとうける!さらに無意識でしたが沖縄Tシャツ石敢當きてる私!なんか石を意識してたのか(笑)


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数々の試練ありましたが、180から減っていく石柱、まだまだだと思ったり目の前の山を一歩一歩みないと危なかったり、クマが出ませんようにとマントラを唱えたり、自分の人生を振り返ったり、幸せな今を噛み締めたり、家族をおもったり、仕事の事考えたり、亡き母を思ったり、、本当に道中色々内観しました。


これまで、登山って人生に似てるなって思ってました。50歳の節目で富士山を登った時、これからの人生、どう生きようかみたいなテーマを持って歩きました。下山する時に、心に余裕ができ、見下ろす景色を楽しみながら、これからの人生を見つめました。
そして今回、53歳の誕生日の高野山巡礼。本当にトライできるか(熊問題という社会の中や天候など含め)ある意味自分でもその日まで判断できませんでした。しかし、歩くと決めて挑んでみると、高野山への道は、ほぼずっと登るだけでした。そこでの気づきは、死ぬまで登る(上昇し続ける)事はできるんだという事。それは何も肉体次元だけではなく魂次元においても、、。そして気づいたら実行あるのみ、、これからも淡々と日々ヨガの道を精進していきますと弘法大師様に強く誓いました😊
翌日に高野山金剛峯寺にて参加した瞑想の時、住職さんが高野山へ訪れると人は生まれ変わると言われるとお話しされました。その言葉を私と加代子先生は行為を持って実感できました

2人で見た大門やゴールとなる壇上伽藍の壮大な風景はギフト以外のなにものでもありませんでした。これをサマディーと呼ぶのかも❤️
翌日は大雨、金剛峯寺での阿字歓瞑想や奥の院参拝をしました。奥の院では雨の中の参拝は歓迎とのこと、本当に神聖な空気に包まれた一日でした。ただ、雨の中の移動だったため写真が一枚もないという😥でも、、高野山は聖域なので写真禁止の場所がほとんどです。美しい壇上伽藍、空海が眠る奥の院など、、皆さんぜひいつか、自分の足で、、目で、、観てきてください😃きっとそれぞれの気づきがそこにあると思います。